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KC-135は、A型だけで730機余りも造られ、B型、F型、Q型などを入れれば800機を超える生産をされた航空機である。何故アメリカ空軍は,、ここまで空中給油機を必要としたのだろうか?・・・その答えは、冷戦時代における核による相互確証破壊と関係がある。アメリカ軍はソ連に対抗する核戦力として大陸弾弾道ミサイル(ICBM)、戦略ミサイル(SLBM)潜水艦群の他に B-47~B-52に至る戦略爆撃機隊の3つの手段を持っていたが、ICBMの核ミサイルは、発射したら呼び戻すことができない。その点唯一、離陸しても確認後、引き返すことが可能なのが戦略爆撃機部隊であった。其の為には長い時間の空中警戒待機と敵地まで行く為の、又は引き返す時の為の給油手段が必要だったのである。つまり KC-135は、700機以上も造られたB-52とセットで運用するために整備され 同じSACに所属させて運用したわけである。1968年までは、世界のどこかの空に核爆弾を積んだB-52が常に飛んでおり それをサポートするKC-135Aが寄り添っていたはずだ。(2022/4 記)
Wings
↑ 1978年10月嘉手納R/W05に着陸する376th SWのKC-135A(62-3559)、1968年の核パロトール終了までB-52との運用が主であった為 1992年の組織改編までSAC(戦略空軍)の所属として運用されていた。
↑ KC-135A(60-0355) A型からQ型へ 再びT型へ変更され 2016年にはマクディルAFBの所属機として確認されている。
↑ SACバンドにSACのインシグニア。冷戦時代は、SACが核戦力の3本柱の一つだったためこのマークを付けた航空機を撮るのは、危険を伴う行為であった。但し、嘉手納のKC-135Aだけは、気軽に撮ることのできたSACマークを付きの航空機だった。
↑ 1978年嘉手納で飛行訓練するKC-135A(61-0316)。この機体は、1962年8月22日に初飛行以来 1985年3月19日エジプトのカイロ国際空港で火災により喪失している。但し 主翼は、他のKC-135に流用されたらしい。
↑ この機体KC-135A(60-0344)は、1984年ぐらいまでは、嘉手納にいたようで その後SR-71給油用のQ型の改装後 再び元に戻され通常のT型として登録されている。
(63-8012)
↑ KC-135A(62-3544)、この機体は、後にニュージャジー州空軍所属となり 尾翼に虎模様を入れたことからマーキングで有名となった機体である。
↑ KC-135A (59-1510) R型に改装後 最近ではマクディルAFBの所属で嘉手納にも飛来していたようである。
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↑ KC-135A(63-8871) この機体も1988年エンジン換装でR型になり Grissom AFBの305th ARWへ移動している。